下っていない時のクダラナイ日常話などを公開!

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 その忙しさも明日の深夜作業でようやく落ち着きそうである。忙しいのはいい事だ、などと

ホザイテはいるけれど、なかなかオーバーフォーティには確実に身にしみるのである。

 しかしながら、その原動力とは、すなわち少し昔のパチスロ北斗の拳で、ケンシロウが打たれひざまづいたときに

遠くから聴こえるユリアの「ケ~ン」という声で復活する、その「なにか」なのである。その「なにか」とは、

わたくしにとって「愛し信じてくれている声」以外なにものでもないのであろう。

 それは、「親」であり「兄弟」であり「子供」であり、血の通わないでも「ライフパートナー」であり「仲間」で

ある。その中でも自分の濃いDNAを受け継いだ「子供」に対しては裏切り行為というのができない。実際は、「離婚」

というかたちでもはや寂しいめをあわしているであろう事は否めないし、葛藤としていっしょに歩まなければならない。

「とーさん」とオレを見上げて見つめる瞳に、何の曇りもないのを知っている。でき得る限りやらねばならない事を

やっていると自負する。すべては、愛しているからだ。これに関しては異論もあるだろう。

 ただ、哀しいのは、その他愛ない信じるものは親しかいないのに、その「親」が実の子供を殺戮してしまう事と

それを何回もニュースに流す報道だ。
 
 我々は、もっとキレイなものや、心豊かになるものを目にしていきたいはずである。「臭い物にはフタをする」

ではなく、耐え難い犯罪は即死刑メディアには載せないということにすればいいのに。

 小さい頃よく云われた「悪いことしたら、閻魔さんに舌抜かれるで」。じつは、ほんとに怖かったのである。

自分は良い父親ではないかもしれないが、昔おばーちゃんから言われた事は伝えていける。そして、あざとい

事件のテレビ報道などが始まるとテレビを消すことにしている。さらに、そのテレビの上には、そのおじーちゃん

とおばーちゃんの写真がこっちを向いており、私のうそもお見通しであることは間違いないであろう。

 毎日ある生活の中で、とくにこの歳になって、「いやはやまた二日酔い、すまねえすまねえ」とその写真に

向かって反省するのは、避けられないわたくしの権利及び義務であろう。

 おれもまた、愛されていたのだと自負する次第である。
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2010.03.23 / Top↑
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